浦和地方裁判所 昭和36年(ワ)12号 判決 1963年9月14日
原告
埼玉県信用保証協会
訴外
足利銀行
事実
原告埼玉県信用保証協会は請求の原因として次のとおり陳述した。
一、原告は中小企業者等が金融機関から営業資金を借り入れるに当り、その保証を業とすることを目的として、信用保証協会法により設立された法人である。
二、訴外大沢久義は昭和三三年六月二五日から同年九月二五日までの間に後記(省略)のとおり一二回に亘り訴外足利銀行行田支店から営業資金合計二、七一五、〇〇〇円を借り入れるに当り、その都度原告に信用保証を依頼したので、原告は同人の依頼に応じてその都度同人の保証をし、同時に原告と被告村越富士太郎の代理人たる訴外大沢との間で、原告が将来訴外銀行に右保証債務を履行したときは、被告は訴外大沢の原告に対する求償金債務について履行の日から日歩金七銭以内の利息を付し、訴外大沢と連帯して原告にその元利金を支払う旨の連帯保証契約をした。
三、仮りに訴外大沢に被告と原告との前記連帯保証契約を締結すべき代理権がなかつたとすれば、訴外人は本件各連帯保証契約を結んだ当時被告から実印を預り、被告の印鑑証明の下附手続、預金の出し入れ、保証債務の書替え等について日常被告を代理すべき権限を有していたところ、右の権限を踰越して本件各連帯保証契約をしたのである。
しかして、原告は訴外人に本件連帯保証契約をなすべき代理権があるものと信じてその契約をしたのであるが原告が訴外人に右の代理権があるものと信じたことについては次のような事情があるから、被告は民法第一一〇条の趣旨を類推して原告に対し責を負うべきである。すなわち、
(一)訴外大沢は被告から附与されていた前記基本代理権に基づいて被告の事務を処理するため、被告から屡々実印の交付を受けていたので、この実印を使用し、本件各連帯保証契約の証書である被告名義の信用保証委託約定書を作成し、その都度これを原告に差し入れて本件各連帯保証契約を締結した。
(二)訴外大沢は被告の義弟であり、被告は訴外大沢を篤く信用して前述のように実印を預けて印鑑証明書下附、預金の出入、証書の書替等の被告の事務を日常代行させていた外、自宅建築資金を前記銀行から借用するについてその事務を訴外大沢に代行させたことがあり、また昭和三二年四月頃には訴外大沢が前記銀行から六〇万円を借用するについてその保証をしたことがあつた。
(三)前記銀行と被告との取引は昭和二三、四年頃から継続し、昭和三〇年頃には同銀行から一〇〇万円の融資を受けたことがあり、被告は同銀行に自己の実印を届け出ている。また同銀行と訴外大沢との取引も同じ頃から継続しているもので、一時同人に対する融資額が八〇〇万円ないし九五〇万円に達したことがあり、同銀行は平素被告および訴外大沢を信用していたものである。しかして同銀行は本件連帯保証契約の締結について、原告の事務手続を代行したが、その際訴外大沢が持参した前記信用保証委託約定書の被告の印鑑と同銀行に届け出してある被告の印鑑とを照合してその符合するのを確かめ、訴外大沢に右契約締結の権限があるものと信じてその事務手続を進めたものである。
(四)以上(一)ないし(三)の事情からすると、原告の事務を代行した前記銀行には訴外大沢が本件連帯保証契約を締結するについて被告の代理権を有するものと信ずべき正当な事由があるから、同銀行に右事務を代行させた原告との関係でも民法第一一〇条の趣旨を類推し、被告は本件連帯保証の責を負うべきである。
四、ところで、訴外大沢は訴外銀行に対し、借入金合計二、七一五、〇〇〇円のうち金一九九、六三五円を弁済しただけで残金の支払をしなかつたので、原告は連帯保証債務の履行として、昭和三四年五月二三日訴外銀行の請求により元金二、五一五、三六五円と利息八一、六〇〇円の合計金二、五九六、九六五円を同銀行に代位弁済し、訴外大沢に対し同額の求償金債権を取得した。
五、しかるに、訴外大沢は右求償金債務の内入として昭和三四年九月三日四五、〇〇〇円、同年一二月二日四九、九七〇円、昭和三五年三月一七日一四五、〇〇〇円、同年七月一二日五、〇〇〇円を各元金に償還したがその余の償還支払をしない。
六、よつて被告は、原告との前記連帯保証契約に従い、右求償金残元金二、三五一、九九五円とこれらに対する完済までの日歩金四銭の割合による利息の各支払を求める。
被告村越富士太郎は答弁として、原告主張事実のうち、被告が訴外大沢に印鑑証明下附手続、預金引出し、預金証書の書き替え等のため自己の実印を交付したことがあること、被告と訴外大沢との身分関係の点を被告が訴外大沢の六〇万円の債務について保証したことはいずれも認めるが、その余の事実は否認する、と述べ、否認の事情として次のとおり敷えん陳述した。
一、被告は訴外大沢に自己の預金の引出しや定期預金証書の書替え等の事務を依頼し、自己の実印を同人に交付したところ、同人は右印鑑を冒用して、本件連帯保証契約について被告名義の所要の書類を偽造して原告に差し入れたもので、被告は訴外大沢に本件連帯保証の代理権を与えたことはない。
二、原告は訴外大沢に原告主張のような基本代理権があつたと主張するけれども、大沢は被告から預つた実印を冒用し、予め足利銀行行田支店から貰い受けていた手形用紙および本件連帯保証関係の書類の用紙にまとめて捺印しておき、後日この捺印した用紙を用いて手形や保証関係の書類を作成して前記銀行や原告に差し入れていたものであるから本件連帯保証契約がなされた当時原告主張の基本代理権は存在しなかつた。
三、訴外足利銀行が本件連帯保証契約について原告の事務手続を代行したとしても、訴外銀行と被告および訴外大沢との間には次の事情があるから、原告主張のような正当の事由はない。すなわち、
(一)被告は訴外銀行の隣家に居住しており、且つ同銀行の嘱託医をしていて、同銀行とは開設以来預金取引をしていた。しかして、前記大沢の訴外銀行に対する六〇万円の債務を保証したときにも、また被告が訴外銀行に一〇〇万円の定期預金をしたときにも、被告自ら同銀行に赴いて支店長または担当係員と接渉して取り決めをし、訴外大沢に委せきりにしたことはないのであるから、訴外人が被告の名義で原告主張のように多数回に亘り、多額の連帯保証を繰り返している以上当然同銀行は訴外人の代理権の有無を被告に確かめるべきであり、またその確認は容易であつた筈である。然るに同銀行は被告に右連帯保証の事実を一切話さず、事前にも事後にも訴外人の代理権の有無を被告に確かめたことはない。
(二)訴外銀行は訴外大沢に融資に使用する同銀行所定の手形用紙を予め多量に交付しておき、同人が被告の印鑑を冒用して捺印するのに利便を与える等同銀行の事務処理はずさんであつた。
理由
一、(証拠)によると、訴外大沢久義は訴外足利銀行行田支店から事業資金の融資を受けるについて原告に信用保証を依頼し、原告は大沢の依頼に応じて原告主張の各日時に大沢のため、その主張の連帯保証をし、同時に大沢が被告の代理人として原告に対し、被告と自己の連名による信用保証委託約定書を差し入れ、被告が大沢の原告に対する求償金債務を原告主張の約旨で連帯して償還する旨の連帯保証契約を結んだこと、大沢は原告の保証により前記銀行から原告主張のとおり融資を受けたが、期限にその債務を完済しなかつたので、原告は同銀行の請求により保証債務の履行として、昭和三四年五月二三日元利合計金二、五九六、九六五円を同銀行に弁済し、大沢に免責を得させたことが認められる。
したがつて原告は右出捐により訴外大沢に対し同額の求償金債権を取得したわけである。
しかして訴外大沢が原告に対し、右求償金の内金として原告主張の日にその主張の弁済をしたことは原告の自陳するところであるから、本件連帯保証契約について本人たる被告が責を負うべきものとすれば、被告は右契約に従い原告主張の求償金の元利金を支払う義務があるところ、右連帯保証契約の効力について争いがあるからこの点について検討する。
二、訴外大沢は被告の代理人として本件各連帯保証契約をしたものであることは前述のとおりであるが、証人大沢久義の証言と被告本人尋問の結果によれば、訴外大沢は本件連帯保証契約について被告を代理すべき権限がなかつたことが認められる。尤も(証拠)によれば、本件連帯保証がなされた頃訴外大沢は被告の印鑑を用い被告と自己の共同振出名義の金額五〇万円の約束手形を前記銀行に宛てて振り出し、同額の融資を受けた(この融資については原告の信用保証はない。)が、この手形が不渡りとなつた後被告が右手形金債務を承認して同銀行に支払つたことが認められるけれども、この事実によつては本件連帯保証契約を結ぶについて訴外大沢に被告の代理権がなかつたとの前記認定を覆すに足りないし、他に右の認定を動かすに足りる証拠はない。
したがつて、本件連帯保証契約はいずれも訴外大沢の無権代理行為によつて結ばれたものというべきである。
三、次に原告の表見代理の主張について考察する。
(一)訴外大沢が本件各連帯保証契約を締結するに当り、被告の実印で顕出された印影のある信用保証委託約定書を原告に差し入れたことは前述のとおりである。証人大沢久義の証言と被告本人尋問の結果並びに(証拠)によると次の事実が認められる。
被告はその義弟に当る訴外大沢に日常時折自己の実印を預けて印鑑証明の下附申請手続、定期預金の払戻し、普通預金の預入、払戻しおよび自己の保証した債務の証書書替手続等を代行させていたので、大沢は被告から右事務処理のため被告の実印を預つて時折手にすることができた。そこで大沢は前記銀行から入手した信用保証委託約定書の用紙および前記銀行所定の約束手形用紙に、被告から預つた同人の実印を冒用して数通分まとめて押捺しておき、後日同銀行に融資を申し入れ、融資について原告に信用保証を依頼するに当つて、その都度右の捺印した手形用紙と信用保証委託約定書の用紙に必要の事項を記入してそれぞれ完成した書面にし、これをそれぞれ前記銀行と原告に差し入れていた。前顕の各信用保証委託約定書および各約束手形はいずれもこのような方法で作成されたものである。
右認定の事実に照して判断すると、訴外大沢は被告から時折印鑑証明の下附申請、預金の預入、払戻し、保証債務の書替等について、その都度代理権を附与されていたものと解すべきであるが、右代理権は事務処理の都度消滅し、相当の期間に亘つて継続的に存在していたものではないと解すべきことも右事務の性質と右代理権附与の態様から明らかであるから、他に特段の証拠のない本件においては、本件連帯保証契約締結の当時に訴外大沢に右の基本代理権が存在していたものと認めることはできない。
(二)しかし、本件各連帯保証契約は訴外大沢により、右代理権の消滅後にその権限の範囲をこえて締結されたものであることは前記認定の契約締結の経過に照して明らかであり、原告が善意で右契約を締結したものであることは(証拠)と弁済の全趣旨によつて肯認することができるところ、原告の主張の趣旨はひつきよう、訴外大沢が原告主張の基本代理権(右認定の印鑑証明下附申請等の代理権)の範囲をこえて本件各連帯保証をなしたとの趣旨に外ならず、民法第一一〇条の場合のみならず、右事実関係のように同法条と同法第一一二条の競合適用の場合をも含めて主張する趣旨を解することができるので、更に原告主張の正当の事由の有無について判断する。
(証拠)によると、本件連帯保証契約が締結された際の事務手続は次のとおりであつたことが認められる。
すなわち、原告の信用保証によつて金融機関から融資を受けようとする場合の一般的な事務取扱は融資申込者と金融機関との連名による信用保証の申込書および融資申込者とその連帯保証人(金融機関に対して融資申込者の連帯保証人となるとともに原告に対しても融資申込者の連帯保証人となる。)の連名による信用保証委託約定書を当該金融機関を通して原告に提出させる。右申込書には融資申込者と連帯保証人の信用状態等に関する当該金融機関の調査意見が記載され、原告は信用保証申込の諾否を決定するに当つて右の調査意見を参考にし、場合により現地踏査により融資申込者の信用状況、担保価値等を調査するが、連帯保証人に関する事項は金融機関の調査意見のみで検討して諾否を決定し、承諾の場合は承諾書を金融機関に送付する。このため、申込書用紙および信用保証委託約定書の用紙を金融機関に予め準備しておき、融資申込者が当該金融機関からこれらの用紙を入手して所要の記載をし、連帯保証人の署名捺印を得て金融機関に提出する取扱にしている。
原告が信用保証をするについての一般の事務手続は以上のとおりであつて、本件の場合にも右の方式に従い、訴外大沢から被告と連名の前記各信用保証委託約定書と申込書が前記銀行を通じて原告に提出され、原告は申込書に記載された銀行の調査意見のみで検討して他に格別の調査をしないで信用保証の申込を承諾し、本件各連帯保証契約が成立した。
しかして本件連帯保証契約について原告の事務の一部を代行した前記銀行は、訴外大沢から同人と被告との連名による前記各信用保証委託約定書を受け取つた際これに押捺されている被告の印影が同銀行に保管してあつた被告の印鑑証明と印鑑簿の各実印と照合して符合することが確認されたうえ、被告も訴外大沢もかねて同銀行と永い取引関係にあつたところからたやすく大沢に被告を代理すべき権限があると信じ、被告が同銀行の隣地に住み、同銀行の嘱託医をしていて屡々出入し、同人の意思を確かめることはまことにたやすいことであつたにもかかわらず、他に被告の意思を確かめるべき特段の調査をしなかつた。
本件各連帯保証契約についてなされた事務手続は以上のとおりであつて、この認定に反する証拠はない。
以上の認定からすれば、訴外大沢が被告の実印を押捺した証書を持参したにとどまる本件においては、本人から実印を托されて持参したような場合とは趣を異にするし、また前記銀行において多少の注意と努力とによつて容易に本人たる被告の意思を確かめることができたのであるから、このような事情の下では、たとえ証書の印影がすでに届け出てあつた被告の印鑑証明や印鑑簿の印影と符合することが認められ、あるいは訴外人及び被告と前記銀行との間に前記のような取引上の信頼関係があつたとしても、原告の事務の一部を代行する前記銀行としては被告の意思を確認する方法を講ずべきであつたものであり、事に出でず、一度も被告の意思を確認しなかつた前記銀行にはこの点の注意を怠つた過失があるというべきである。しかして原告が前記銀行の調査結果だけに準拠し、それ以上の調査をしないで訴外人に代理権があると信じたことは事務代行者である前記銀行の過失に影響されたものであつて、原告主張の正当の事由があるとは到底いえない。
四、以上説明したとおりであつて被告は本件連帯保証契約について責任を負ういわれなく、結局原告の請求は理由がないからこれを棄却することとする。